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2022/10/15)
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朔間零
※いつものシリーズ
※いつものシリーズ
零くんはうちに泊まるとき、必ず壁側に寝る。
曰く、「適度な閉塞感が好きなんじゃ」らしいが、二人で寝ることを想定していなかったセミシングルで窮屈に寝ているわけで。
単純に狭いだけでは? と思っていたが、どうやら本当に閉塞感が好きだったらしい。まさかそれを本人の居ない所で知ることになるとは思いもしなかった。
休日出勤の振替で平日に休みが出来たので、今日はウィンドウショッピングをしに街へ出ていた。
たまたま近くでALKALOIDが番宣をかねたイベントをしていると聞いたので足を運ぶことにした。
「あ、逆先先輩のお姉さん!」
「こんにちは、藍良くん」
さすがESのお膝元と言うべきか。この辺りは毎日のように若手アイドルが何かしらの催しをしているらしい。
「今日はお休みですか~?」
「代休でね。せっかくの平日休みだったから買い物でも行こうかなぁと」
「わかる~! 平日って人少ないから出かけたくなりますよねぇ」
「そうなんだよね! そしたらたまたまALKALOIDがイベントしてるってフライヤーもらっちゃって」
新人であろうアイドルから手渡しされたフライヤーを見せると、藍良くんが目を輝かせた。
「ありがとうございまーす! お姉さん、盂蘭盆会の後も定期的に来てくれるしラブ~い」
「あはは……ラブいかはわかんないけど、ALKALOIDはいつも頑張ってるし応援したくなっちゃうんだよね」
彼らを知ったきっかけは、夏目くんたちSwitchが企画した盂蘭盆会と言うライブだった。
「夏目くんもきっとおんなじようなこと思ったから、君たちに手を貸したのかなって思ってるよ」
「お、お姉さん……!」
大きな目をうるうるとさせ、藍良くんは私の両手を握りしめた。
彼は生粋のドルオタで、自身もアイドルになったそうだ。私が夏目くんの幼なじみだと言うことも、夢ノ咲で噂になった時点ですでにネタを仕入れていたらしい。ファンの情報網ってすごいな。
今ではESアイドルの中でも指折りの若手ユニットの一人だが、この間まで風前の灯火だったことは記憶に新しい。彼ら同様、今にも消えてしまいそうなユニットたちを集めて行ったライブが盂蘭盆会だ。
夏目くんたちの思惑としてはライブを足掛かりに一念発起して欲しかったんだと思うが、残念ながらほとんどのアイドルたちは引退してしまった。
ALKALOIDはそんな彼らの思いも連れて今、此処に立っている。
どん底を経験したにも関わらず、諦めずに走り続けた藍良くんたちALKALOIDは、結果として飛ぶ鳥を落とす勢いのユニットとなった。
彼らを見ていると思う。夏目くんたちのしたことに間違いはなかったのだと。
私にとっても、それは少しだけ誇らしかった。
「あっ」
「ん?」
いつか会ったら聞こうと思っていたことが頭をよぎる。
握手をしながら、藍良くんと初対面で話したことを思い出した。
「藍良くんって、れ……朔間くんと天祥院くんと相部屋なんだよね?」
「え、あ、……はい」
私が尋ねると、藍良くんは瞬時に視線をそらした。こころなしか疲れた顔をしているようにも見える。
「ど、どう? 先輩と一緒の生活は。大丈夫?」
主に天祥院くんと零くんが同じ部屋でケンカせずに過ごしているのか、あの二人に囲まれて藍良くんは自室で落ち着けているのか、の二つの意味での問いであった。
ケンカというか、あの二人はチクチクチクチクと無駄に頭の良さがわかる遠回しな嫌味を繰り返してそうだなと思っている。
あの天祥院くんが? と思うかもしれないが、夏目くんや零くんから聞く天祥院くんの話は王子様のような彼から想像もできないことばかりだった。最初こそ信じていなかったけれど、たまに話す程度の羽風くんや蓮巳くんが苦笑いしているところを見ると、あながち誇張でもないのだろうなと最近は察している。
なので、藍良くんみたいな空気の読めるタイプの後輩は居心地が悪いんじゃないかと心配していたのだ。
「えっと……実は……」
藍良くんはしどろもどろになりながら、つい先日起こったばかりの出来事を話しだした。
「零くん、後輩に迷惑かけちゃダメだよ」
「なんのことかや?」
あの後どこからか私がESの近くに居ると知った零くんから電話があり、珍しく事前に連絡をしてから家に来た。それも夕飯が食べたいと言ってきたのだ。
いつもは遅くにやってきた零くんが食べているのを見ていることが多い。一緒にご飯を食べるのはいつぶりだろうか。
「今日さぁ、藍良くんに会ったの」
「……また名前で呼んでおる」
「そう呼んでって言われちゃったら呼ぶしかないじゃん……」
つむぎくんを下の名前で呼ぶようになってから、零くんは名前で呼ぶことにやたら反応する。
話の腰を折られて苦笑していると、零くんがお椀をローテーブルに置いた。
「で、白鳥くんがどうしたんじゃ?」
「あ、そうそう。この前泣かせちゃったんだって?」
零くんは顎に手を添え、考える素振りをしはじめた。
「泣かせてなど……あ」
しばらくして心当たりがあったのか、目を丸くした。
「思い出した?」
「……うむ」
苦虫を噛み潰したような零くんは、のっそりとした動きでお椀を再び手に取った。
「棺桶ってあれでしょ? 大神くんがいつも『持って帰れ!』って言ってる……」
「うむ。実はかくかくしかじかで夢ノ咲からスタッフが持ち出してくれたんじゃよ」
わざわざスタッフさんを使って寮に持ち込んだのか。その点については気にしたらキリがないので突っ込まないことにする。
それはともかく、零くんは寝相が良いほうだと思う。むしろ動かなさすぎて最初は少し心配したぐらいだ。もしかしなくても寝返りがうてない棺桶で訓練されていたのだろうか。
「置く場所ないなら、うちに置く?」
私が首をかしげると、零くんの顔が険しくなった。
「そう安請負をせんほうが良いぞ?」
「いや、まぁ、家狭くなるし、友達来た時にどう弁解するか悩むところだけどさ」
なんで零くんがそんな顔をしているのかわからないけれど、とりあえず自分の思ったことを言葉にしていく。
「軽音部にも置けない、部屋にも置けないならさ、あと選択肢が実家かうちぐらいじゃない?」
白米を食べる手がぴたりと止まったが、気にせず話を続ける。
「零くんも自分のベッドがあれば泊まる時にうちのベッドで窮屈な思いをしなくていいし」
……閉塞感は変わらないかも知れないけど。
と言うか、閉塞感を求めるために棺桶で寝るって言う行動については、先ほど同様、考えたら負けである。
「零くんの安寧を守るために必要ならうちに置いてもいいかなーと」
「我輩、甘やかされすぎではないかのう……」
口元を緩めた零くんは、茶碗に残った米粒を箸で器用にすくいあげた。
「でも、却下じゃ」
「え、なんで!?」
「前にも言ったじゃろ。閉塞感が好きだと」
「うん、まぁ……」
ぺろりと米粒を食べ終えて「ごちそうさまでした」と零くんが手を合わせる。
「お粗末様です」
私がお辞儀をすると零くんが食器を持って立ちあがった。何をするのか見守っていると、ぺたぺたと素足で音を立てキッチンに向かう。そして零くんは蛇口を緩めた。
「え、いいよ。後で洗うから」
「いつも世話になっておるからのう。このくらいさせておくれ」
「……ありがとう」
あの朔間零が狭い部屋で洗い物をしている。彼が出入りするようになった当初からは考えられない光景だ。
今は随分この部屋にも溶け込んだけれど、食器を洗ってくれるのは初めてなのでちょっとむず痒い。
振り返った私は。零くんの後ろ姿を見つめながら麦茶をすすった。
私の分も洗い終えると、零くんはソファに座る私の隣へ腰掛けた。それも隙間のないぐらいぴったりと密着して、である。
「本当はおぬしを壁側にして、落ちないようにしたいんじゃが……」
なんのこと? と一瞬目を丸くしたものの、「さっきのベッドの話じゃよ」と言われて納得した。
穏やかに笑っていたはずなのに腰に手を回すなりニヤリと口角が吊り上がった。
「我輩、この部屋に来る時はだいたいそこまで余裕が無いと言うか……のう?」
ベッドを一瞥し、私の耳元へ唇を寄せる。
「……下ネタ禁止」
「くく、何も言うとらんよ?」
はぐらかす零くんをじとりとねめつける。もちろん彼に気にする素振りなどない。
言い訳をするわけではないが、別にいつでも盛ってくるわけではない。どちらかといえば疲れている時に来ていることが多いと思う。驚くかもしれないが、うちでは夜でもぐっすり眠っている。
零くんは疲れたこそ人肌が恋しくなると凛月くんが言っていたが、まさにその通りなんだと思う。
「棺桶と同じぐらい、おぬしを抱きまくらにして壁側で眠るのは心地良いんじゃよ」
ふぅ、と耳に息を吹きこむ。そういうことをする時、零くんがよくやる癖だ。耳が弱いのを知っていてわざとやっているし、くすぐったくて顔を逸らすことすら楽しんでいるのだろう。
「閉塞感もあるしのう」
「ちょ、ちょっと! れいく……っ!」
「それに、専用のベッドなんて置いてしまったら一緒に寝る口実が無くなるじゃろう? それは困るんじゃよ」
ちう、とわざと音を立てて耳から離れる。神経が全て耳に集まってしまったのではないかと思うぐらい敏感になっている中、いつもより低い声で零くんがつぶやいた。
「まぁ何よりも、実家か此処かと言う選択肢は興奮したのう……☆」
一体、どこに興奮したのかさっぱりわからん。深く考える余裕もなく、後頭部、首、背筋と下っていく手から逃れたくて身をよじる。
そんな私を零くんは恍惚として見下ろしていた。薄い唇のすき間から赤い舌がちろりと覗く。興奮している、と自称しているのはあながち嘘でもないらしい。
そんな零くんの姿を見て、私の顔も熱くなるのがわかる。
「我輩のことを身内の数に入れてもらえているとわかって嬉しかったぞい♪」
まさぐられていた手がぴたりと止まり、壊れ物のように背後から抱きしめられる。細身に見える零くんだが、華奢じゃない私でもすっぽり抱き込んでしまった。
(……なるほどね、理解)
身内に甘い零くんだからこそ、私が身内判定したことが嬉しかったんだろう。
甘えているような素振りに、先ほどまでの危機感は消え、私は口角が緩むのをこらえた。
(そんなのとっくの昔にしてるのになぁ)
私なりにアピールしているはずだったが、伝わっていなかったのだろうか。
それとも私が自分から墓穴を掘るのを待っていたのだろうか。……後者だろうな。
甘えん坊さんな零くんもかわいいなと思ったのもつかの間。
私は羞恥を隠すように両手で顔を覆い、抑揚のない声で話し始めた。
「……本日の営業は終了しました。早急にお帰りください」
「いやじゃ」
「可愛く言っても無駄! 帰って!」
私の心境に気づいたのだろう。背後からくつくつと喉を鳴らす音が聞こえているのは気のせいだと思いたい。
「えー、かわいい我輩も好きじゃろう?」
かわいい零くんも好きだけど、顔を覆っていた手を片手で除けるのは果たしてかわいいのだろうか。ゴリラなのでは?
ちょっとだけ白けている私をよそに、零くんはぶりっ子を続ける。
「我輩、あの悪魔と同じ部屋に帰りたくないんじゃよ~」
おーいおいおいといつもの嘘泣きをしながら、ちらちらと私の様子をうかがってくる。
忘れてはいけない、騙されてはいけない。
どれだけかわいく取り繕っていても、私の両腕は零くんの手に拘束されているのである。
「年上のことからかうからよ! 自業自得! 今日は帰りな!」
「むぅ……。ああ、こう言えば許してもらえるかのう?」
零くんはかわい子ぶりっ子をして頬を膨らました。が、何か閃いたようで、すぐににっこりと笑う。はっきり言って、この笑顔にいい思い出なんてない。
ぱっと私の手を解放したが、代わりに逃げる間も与えずに腰を引き寄せる。身をよじったり、腕をぺちぺちと叩いて抜け出そうとするも、零くんの手はぴくりとも動かない。
おそるおそる顔を上げると、零くんが満面の笑みで私を覗き込んでいた。ちらりと八重歯が見えるその表情は、いたずらっ子のようでもあり、煽情的にもうかがえる。
「終電、無くなっちゃった♪ ぞい……☆」
嘘つけ! まだ九時になったばっかじゃん!
まあ、そう言ったところでこの男はてこでも動かないだろう。
口をへの字にして見上げても零くんの表情は一ミリも変わらない。悠然とした笑みが私を見ているだけだった。
にらめっこのうにしばらく顔を見合わせていたが、私は観念して大きなため息を吐き出した。
体の力を抜き、零くんに見を預けると、頭上で鼻歌が聞こえた気がした。
後で聞いたけれど、最初から泊まるつもりだったらしい。本人は明日がオフでも私は仕事なのよ……。強く出られない私も私なので、仕方ない。これが惚れた弱みと言うやつか。
そんなこんなで今日もまた、私は零くんの手のひらで転がされてしまったのだった。
棺桶の行方は知らないが、零くんは今日も私を抱きしめて壁側で眠っている。
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