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2025/07/18  [PR]
 

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エドモン・ダンテス









 復讐者たちが、退去する。

 それは立香ちゃんが目覚めるや否や、あっという間にストームボーダー中へと広まった。動揺を隠せない艦内は別れを告げる人々で意気消沈ぎみである。
 私の部屋にも一人また一人とアヴェンジャークラスのサーヴァントが挨拶に来てくれたが、気持ちの整理もつかないまま、入れ代わり立ち代わりするサーヴァントたちと一言二言交わすのが限界だった。言いたいことが山程あるはずなのに、唐突すぎて何から伝えたら良いのかわからない。結局、無難なことを述べて彼ら彼女らの背中を見送るだけとなっていた。

 扉の外は騒がしいのに、切り取られたように静寂が室内を包んでいた。
 無駄に強張っていた肩から力が抜け、自室に大きなため息が広がっていく。備え付けの椅子に腰を下ろそうかと考えながら床を見下ろしていた矢先、一際大きな影が落ちた。見上げると、大きな狼と頭のない騎士が天井近くまでそびえ立っていた。

「来てくれたんだ。ヘシアン、ロボ」

 毛並みの良い青鼠色が電灯の下で艶めく。返事の代わりにグルルルと鳴き声が返ってきた。首のない騎士もまた、サムズアップで答えてくれる。

「二人とも、いっぱい助けてくれてありがとう」

 顎をくすぐると、犬のように擦り寄せてくるロボの姿に目尻が垂れ下がる。
 ヘシアンとロボには世話になりまくった。私が召喚した始めての復讐者にして、此処ぞという時に何度も頼りにしたサーヴァントだ。いつぞやにバレンタインのお返しで草原を駆け抜けたことは、大事な思い出の一つとして今も強く心に残っている。

「本当に、淋しいな」

 私のため息と共にヘシアンの耳が垂れ下がる。ロボの背中にまたがるヘシアンも腕を組んで大きく頷いた。
 新宿で出会った時はアヴェンジャーと言うクラスに戦い慣れていないこともあって絶望すら感じていたのに、今はどうだろうか。同じヘシアンたちではないとは言え、彼らとこんなに通じ合えるとは思わなかった。
 人嫌いのロボがもっと撫でろとばかりに顔を寄せる。思い出や感謝が折り重なって考えがまとまらずにいると、撫でていた手が止まっていたようだ。
 これが最後だなんて信じられない。もっと一緒に旅をしたかった。涙の膜が広がりかけた途端、遠吠えと共にもふもふの感触が消える。

「ヘシアン! ロボ!」

 行かないで!
 そう言いたいけれど、立香ちゃんが乗り越えた試練を無下になんてできるはずもなく。無言で伸ばした手をロボがぺろりと舐め、頷くように頭を縦に振った。舐められた感触さえ伝わることもなく、大きな躯体が霊体化するのを立ちすくんだまま見送る。気がつけばまた一人、伽藍堂となった部屋に取り残されていた。
 空を切った右手の掌を見下ろす。ちゃんと別れを言えただけ、まだマシなのかもしれない。寂しさに優劣なんてないはずなのに、こんな気持ちになってしまうのは脳裏を過るあの人のせいに違いない。

(流石に来ないだろうな……)

 かぶりを振り、今しがた浮かんだ姿をかき消す。ちくりと傷んだ胸には気づかない、気づいてはいけない。
 そんな風に考えれば考えるほど、あの人の姿が瞼の裏で鮮明に映ってしまう。

「何を、期待してるんだろう」

 今の私は、自嘲と呼ぶにはあまりにも拙い表情をしているに違いない。
 彼には運命とも呼べる共犯者が居る。私はそれをサポートしていたに過ぎない。私なんかに割く時間などあれば、立香ちゃんの側に居るだろう。

「……エドモン、さん」

 ぽろりと名前を零すだけで胸が締め付けられる。いつの間にかこんなにも思いを積もらせてしまっていたらしい。蓋をしていた感情が漏れ出しているのが、嫌でも分かる。

 思えば、あの人はいつも魔力切れ寸前だった。
 最初はただ、魔力切れを見つけたことによるお節介だったと思う。私はまだマスターになったばかりで、自分のサーヴァント以外に怯えていた。復讐者なんて珍しいクラスだったあの人に対しても、出会うたびに緊張していた。
 にもかかわらず、すれ違い際に触れた手はあまりに魔力が枯渇していて咄嗟に腕を掴んでしまった。それまで全く関わりのなかった彼が、珍しく虚をつかれたような表情をしていたのを今でもはっきり覚えている。特殊な立場ゆえ、てっきり立香ちゃんとうまくパスが繋がっていないだけだと思っていた。

 言い淀む彼に、私は半ば強引に魔力供給を申し出た。最初は手を握るだけ、次はハグ。その後は……何度も身体を重ねた。もちろんそこに愛など無い。あるのは未来を取り戻す気持ちだけだった。
 割り切っていたはず、だったのだ。
 きっとあの瞬間、白銀の毛先から覗く金色の瞳に私は魅入ってしまったのだろう。魔力供給という、あやふやな関係が私たちを繋いでいた。

 その唯一の関わりさえ、頻度は決して多かったわけではない。にも拘らず最初の魔力供給以降、彼は何かにつけて接触をしてきた。私が立香ちゃんに余計なことを言わないように見張っていたのか、それとも別の意味があったのかは分からない。微小特異点が起こると何かにつけて最後はあの人と一緒に居たし、ルルハワでは立香ちゃんを差し置いて特異点が消滅するわずかな間を共に過ごしたこともあった。
 すぐにからかってくるところも、ムキになった私に向ける意地悪な笑みも、私には見せてくれない紳士的な仕草も、情事の際に垣間見える優しさも。いろんな表情を見せる姿が、歓迎されるべきではない感情を大きく膨らませていくのだ。

 一番になりたいなんて思わない。
 私だけをみてほしいなんて思わない。
 なんて綺麗事を並べたとしても。

 彼の魔力切れに気づいていることも、それを癒すことが出来るのは私一人。その優越感だけは誰にも譲れなかった。
 なんというエゴ、なんという独りよがり。いつの間にかほの暗い思いを抱えながら、私は彼に抱かれていたのだ。

「……切り替えなきゃ」

 このまま現を抜かしたままで通じる旅ではないと、自分もよく知っているはずなのに。
 彼が居なくなる。そんな現実を突きつけられた瞬間、今までどういう風に日常を過ごしていたのかさえ分からなくなっていた。

(白紙化された地球を取り戻すため、前を向かないと)

 私はひょんなことからレイシフト適正が発覚して職員から成りあがったマスターでしかない。所詮スペアでしかないのだ。私のちっぽけな想いなど、この先の旅路に不要。人類史最後のマスターである立香ちゃんが南極へたどり着くため、まだまだ奔走しなければならない。

(そうだ、忘れるには良いタイミングじゃないか)

 軽く両頬を叩き、気持ちを切り替えようと天井を見上げた。けれど無理矢理自分を鼓舞してみたところで、何も変えることはできなかった。もつれそうになる足でベッドに向かい、腰を下ろした。

「……」

 部屋が、嫌になるほど静かだ。スプリングの軋む音だけがやけに響く。
 突然の別れゆえ、心に暗がりを作ってしまうのだろうか。それとも彼だからこそなのか。なんだかもう、さっきから自問自答と自己嫌悪が止まらない。

 何もかもが終わったら、ちゃんと折り合いをつけようと思っていた。これまでだってたくさんの出会いと別れを繰り返した。少しずつ、感情が鈍っていく気さえしていた。

(まだこんなに動揺する心が残ってたなんて)

 あまりにも皮肉すぎやしないだろうか、なんて悲劇のヒロインぶったところで私は主人公ではない。自嘲が喉の奥を震わせる。
 七つの特異点を越えた時のように退去するみんなを見送ることになるだろう。その時こそ、ちゃんと話そうと思っていた。どういう結末になろうと、この人にはちゃんと気持ちを伝えておきたかった。

 なのに。
 こんな形で別れが来るなんて。

 エドモンさんは立香ちゃんの旅路を最後まで見届けると心のどこかで思っていた。道半ばで退去なんて誰が想像しただろう。
 しかし今回の顛末を詳聞けば聞くほど、立香ちゃんを思っての行動ばかり。彼はずっと……きっと出会った時から、立香ちゃんしか眼中に無かったのだろうと改めて気づかされる。

(一番にならなくていいなんて、嘘じゃん)

 最後になって立香ちゃんに対して後ろめたい感情があったことを知ってしまった。なんて醜い大人だろうか。
 投げやりになるのを堪え、ゆっくりとベッドに倒れ込む。もう彼越しにこの天井を見ることもないのだろう。
 立香ちゃんの代わりにもなれるはずもない、ただ魔力を得るためだけの都合のいい女にお似合いの虚しさだろう。閉じたままの扉が開いて、彼が来てくれることを心の何処かで期待していた。

「結局、この気持ちをどう昇華したら良いのかもわかんない」

 空調の低いうなり声だけが私の独り言に答えている。苦手なLED電球の眩しささえ、今は全く気にならない。
 アヴェンジャークラスがみんな去ってしまうというのに、私はもう、あの人のことしか考えられなかった。

 不意に、軽快なノック音が耳に飛び込んできた。ささやかな音しか聞こえなかったゆえ、大げさに肩が跳ねる。後ろ向きな感情を覆い隠し、笑みを作って扉へ向かう。

「は〜い!」

 明るい声で返事しながらドアを開けたが誰もいない。廊下に顔を出し、キョロキョロと見やるも人影は見当たらなかった。作った笑顔がひくりと引きつる。

「気のせい?」

 首を傾げつつも後ろ手で扉を閉め、部屋の奥へと踏み出した瞬間。耳元で誰かが私の名前をささやいた。

「――……梓」

 誰かなんて言ったけれども、知らないはずがない。低くて落ち着いた声の主は間違いなくあの人の声で。振り返ろうとしたけれど、背後から伸びてきた両腕に遮られる。

「あ、」

 驚きで、声が出ない。心臓が背中についているのかと思うぐらい神経が集中している。
 いつから霊体化して部屋に居たのだろうか。物思いに耽っていた間抜けな姿を見られていたかもしれない。羞恥も相まって思考がまとまらず、頭の中に文字が浮かんでは消えていく。

「んぐっ」

 腕の中でもがき続ける私をけん制するように両腕の力が強くなった。
 視界の端っこには闇に溶けてしまいそうな深い色のジャケットが、足元には大きな革靴が、こめかみには毛質のやわらかい銀髪が、微かに香る煙草の匂いが、私以外の存在が部屋に居ることを証明していた。
 身動きも取れないまま、背中に体温を感じるだけで私の心臓はますます期待を膨らませていく。

「え、エドモンさん?」

 視線をできる限り後ろに向けて声を掛けるが、何も返ってこない。
 どのくらい無言だったかは分からない。室内音に慣れきっていた私の耳に、熱を含んだ吐息まじりの声が掠める。

「お前には、ずっと感謝していた」

 夢ではないかと疑いたくなるほど聞きたかった、彼の声だ。脳が彼の体温を理解すると、目の奥が熱くなっていく。
 ぬくもりはあるのに心音のない身体に触れるのも、きっとこれが最後。苦しいぐらいの腕の力や、不安定な体勢を感じる余裕なんてない。今起こる全てのことを、取りこぼさぬよう覚えておきたかった。

「何を?」と口を開こうとしたが、エドモンさんの声に遮られる。腰に回った腕に力がこもったように感じたのは気のせいだろうか。

「ほぼ初対面だった俺に魔力供給をしてくれたこと、それにリツカには何も言わずにいてくれたこと、それから……」

 やっぱり最後まで立香ちゃんのことか、なんて思っていない。最初から分かっていたことを、いつの間にか忘れていた私が悪いのだから。

「そ、それから?」

 しどろもどろに聞き返しながら、おそるおそる背後に視線を向ける。こちらからは見えないけれど、彼には私の挙動は筒抜けらしい。小さく笑う息遣いは、彼がどんな表情をしているか見えずとも想像出来た。

「……いや、なんでもない」

 煮え切らない物言いだけを残し、熱が遠ざかる。何かを期待していたわけではないけれど、最後くらいうやむやにはせずに答えてほしかった。

「言ってくださいよ、気になるじゃないですか!」

 不満を原動力に勢いよく振り返り、恨めしそうに見上げても何も答えない。真上から照らすシーリングライトのせいで帽子の中は暗がりだったが、表情は確かに見て取れた。光が明るければ明るいほど、闇は濃くなると言ったのは誰なんだろうか。まさにそれを体現しているような表情は、私の心臓を強く揺さぶった。

「まだ旅は終わらんぞ。最後までしっかりと気を持て」
「ちょっと、誤魔化さないで……っ!」

 右手を掴まれたかと思えば、手の甲に唇を添えられる。目を見開いて動けない私を他所に、壊れ物を扱うように触れていた手がすり抜けていく。

「息災でな」
「待っ……」

 かぶさった言葉が、無理矢理会話を終わらせてしまう。反論を許さない外套が重い音を立てて翻る。今、此処で彼を逃がしてはいけない。どうせ彼は出入口から出るなんてことはしない。このまま離れてしまえばもう追いかけることは出来ないだろう。

「待って!」

 考えるよりも先に、私は彼へ手を伸ばす。足元はすでに透けているが、ぎゅっと腰に回した腕に力を込めた。言葉を選ぶ間もなく、外套に隠れていた背広に投げかけた。

「かっ、顔を見せてください」

 霊体化が止まった。私はまだ彼に触れている。半透明になっていたはずの革靴は、しっかりと床に影を作っていた。

「最後くらい……最後くらい、ちゃんとお別れしてください!」

 一方的に言うだけなんて、ずるいです。
 消え入りそうになっていく言葉は最後まで聞こえていたかは分からない。無意識に掌に力が入り、手触りの良いジャケットが悲鳴をあげている。
 動揺する私とは反対に彼の大きな背中は微動だにしない。項垂れたまま縋り付く私と、棒立ちの彼。どちらが未練がましいかなんて一目瞭然だろう。

「同じ顔には、また会うかもしれんぞ」

 彼は私に見向きもせずに無機質な声で言う。突き放すような声色に歯を食いしばりながらも、必死に縋り付いた。

「そうだとしても、それは貴方じゃない!」
「英霊とはそういうものだろう」
「ちが……違う!」

 うまく躱され、埒があかない。このままではこの人は何も言わずに消えてしまう。

「変わらんさ」
 
 自嘲ともとれる乾いた笑みをこぼすエドモンさんに、息が詰まる。
 私では、共犯者ではない私では無理なのだろうか。悔しさのあまり、歯が嫌な音を立てる。布を握りしめた手は力をいれすぎて震えていた。

「でもその人は……私が好きになったエドモンさんじゃない」

 なりふりなど構っていられない。
 この僅かな時間で決着をつけるには、思いの丈をぶつけるしかない。意を決した私は、噛みつくように彼へ本音をぶちまけようとした。

「エドモンさんがそんなつもり無かったことは分かってます。でも……私は、貴方のことが……っ!」

 勢いだけで話し始めた手前、感情に口が追いつかない。打ち上げられた魚よろしく、パクパクと必死に次の言葉を探していると、背中越しに小刻みな震えが伝う。

「クハハハ! 何を言い出すかと思えば!」

 不意に左腕を引き寄せられた。ワルツのように視界がくるりと回る。「あ」と声を出す間もなく、エドモンさんの方へ傾いた。
 煙草の苦みがつんと鼻を通り抜ける。目の前には端正な顔。睫毛の際さえも見えてしまいそうな距離と、唇の感触。
 目を瞠ったまま動けない私を他所に、時間は刻一刻と過ぎていく。何分とも思えた刹那が終わりを迎え、瞼に隠れていた金色の目が私を見据えた。

「俺なりに行動で示していたつもりだったが、まさか気づいていなかったのか」
「え、え……?」

 今、何が起きたの? 唇、当たったよね?
 平然と話し続ける彼を呆けた顔で見上げていると、当然のごとくさらりと顎を掬われる。

「俺の態度は分かりやすいとリツカには散々茶化されていたぞ」

 黄金色の瞳と視線がいやでもかち合う。どうして今日に限って、トパーズのように澄んだ瞳は蜂蜜のような甘さを含んでいるのか。
 戦闘時のような獰猛さは無く、凪いでいるようにも、諦観にも感じる。苛烈さを裡に秘めているこの男に限って、あまりに静かすぎるのだ。
 不安か、期待か。言葉に出来ない感情が私の胸をぞわぞわと駆け巡っていく。

「幕切れ寸前だが、身体だけでなく心も通じ合えたのは僥倖か」

 ふ、と笑みを零したと思えば、一瞬だけ眉をしかめる。小骨でも刺さったような表情でぽつりと「いや、違うな」呟いた。ぱちくりと何度も瞬きを繰り返す私をよそに、顎を掴んでいた手は頬へと移動していく。

「サーヴァントとなってなお、恩讐の中に光を見出してしまうとは」

 業火も危うく灯火になるところだったぞ。
 片方の口角をあげて微笑む姿と言葉はちぐはぐなのに、胸の真ん中がぎゅっと締め付けられるのは惚れた弱みのせいなのか。

「えども……さ……」
「惜別と思うな。前を向け。いずれ来る別れが早まっただけだ」

 彼の気配が近づく。もう一度、唇が重なるのかとぎゅっと瞼を閉じる。しかし熱を感じたのは唇よりも更に下。首元だった。
 私は無意識にエドモンさんの肩に手を添える。くくっと喉を鳴らす音と共に柔らかく見下ろしているのが目を瞑っていても分かる。

「今を生きるお前に、祝福あれ」

 睫毛から落ちた影が暗い。こんなに近い距離に居るのに、なんて遠いんだろう。金色の瞳をのぞき込んでみても、エドモンさんの本音が分からない。一方的な行為は答えを求めていないように感じる。私もこの気持ちを伝えさせてほしいのに。

「……復讐者である俺が言うことではないがな」

 眉をしかめて無理矢理笑うなんて貴方らしくない。今すぐでも消えてしまいそうな彼を繋ぎ止めたくて、咄嗟に頬へと触れた。

 名残惜しい。言葉にしなくてもお互いそう思っていたに違いない。そうでなければ、頬ずりをするような仕草をカッコつけたがりの彼がするはずなんて無いだろう。
 しばらくされるがままだった彼が、ゆるやかに私の手を掴んだ。離れた体温を恋しむ暇もなく、肩を押される。

「悪いな」
「や、だっ!」
「これ以上は未練がましくなる」

 転ばないよう体勢を整えつつも、目線はエドモンさんから外さない。どうにか踏みとどまり一歩を駆けだそうとしている私から、彼は目を逸らした。外套を翻して背を向ける姿に終わりを察する。

「梓。お前の中に永劫、俺が居ることを望む」

 本日何度目かの苦しそうな笑顔に、私の眉間にも力が入る。
 慌てて手を伸ばしてみたけれど、やっぱり空を切るだけで。ドレープを描く別珍の音も途中で途切れてしまった。声を出す間も与えられることはなく、すぐそばにあった気配は霧散した。

 まだ近くに居るもしれない。踏み込んだ勢いのまま叩く勢いで扉に手を掛けた。

「エドモンさん!」

 廊下に飛び出したものの、サーヴァント一人通っていない。意味など無いと分かっていても右、左と何度も視線を動かす。無情にも無機質な艦内だけが目の前に広がっていた。

「こんなの、受け止めきれないんだけど」

 ずるすぎる。言い逃げなんて。

 立ち尽くしたままの私は、そっと首に触れる。
 柔らかい髪がくすぐる感触、煙草の匂い、首筋に触れた唇の熱。どれもついさっき感じたはずなのに、もう思い出すことが出来ない。

「あんな顔をするなら……もっとちゃんと言葉にして、満足するまで側に居てよ」

 少女漫画みたいに泣き崩れてしまえたらよかったのだが、現実はそんなうまくいかない。  床をしっかりと踏みしめたままの両足は、別れさえも糧にしてまた前に進みだすのだろう。私の心を、置いたまま。




 あれから数日。シャドウボーダー内は静けさが増していた。
 管制室でぼーっとしていた私に、ダ・ヴィンチちゃんが「気分転換に召喚していいよ」と宣った。正直そんな気分にもなれなかったけど、アヴェンジャークラスが居なくなった今、戦力の増強は必要だろう。ゆえに召喚ルームで一人、金平糖もとい聖晶石を投げていた。いつものような「さあ、今日も元気よく召喚するぜ!」とはいかないので、しゃがみ込んでいるのは許されたい。

(なんだか石をぽいぽい投げるのも久しぶりだな)

 私のサーヴァントがアーサーさんしか居なかった頃、ロマニに頼みこんで聖晶石を湯水のように使っていたのが懐かしい。
 あの頃から比べると、やっぱりいい意味でも悪い意味でも痛みに慣れてしまった気がする。

「な〜んも出ないなぁ……」

 そろそろ手持ちの石も尽きる。ダ・ヴィンチちゃんには申し訳ないけれど、今日は何も無さそうだ。了承を得て召喚したのだから、無駄遣いと言われるのだけは勘弁願いたいところである。 「よっこいしょ」と立ち上がり、最後の召喚を見守っていると虹色の光が飛び込んできた。

「我こそは復讐者! 巌窟王、モンテ・クリスト伯爵である! ――まったく。規格外にも程があるというものだぞ、これは」
「あ……」

 あの人であってあの人でない。直感で、そう思った。
 エドモン・ダンテスと言うサーヴァントは、立香ちゃんの裡に居たエドモンさんと私の知るカルデアに召喚されたエドモンさんの二人が存在していたらしい。私はカルデアのエドモンさんしか知らないが、目の前の彼はきっと、どちらでもあってどちらでもないのだろう。……彼は、復讐者としての残り火が形となったものに違いない。

 立ち尽くす私を見て、彼は目を細めた。

「今の俺は恩讐の炎。それ以外の何物でもない」

 まるで期待するなと言われているようだった。実際、そういうことなのだろう。寄りにもよって立香ちゃんじゃなくて、私の召喚に応じるなんて。歯を食いしばりたい気持ちを堪え、わざとらしく首をかしげて笑う。冷めた目には、気付いていないフリをしてしまおう。

「ちゃんと弁えてますよ、大人なので」

 この先、目の前の復讐者が退去するその時まで。
 その仕草の一つひとつに、私は思いを寄せていた彼の面影をずっと引きずってしまうのだろう。たとえ僅かな時間だとしても、あの人はとんでもない呪いを残したものだ。
 フン、と鼻を鳴らして復讐者は私の側を通り過ぎる。横目で見やることもなく、貼りつけた笑顔を崩さずに見送った。

(嗚呼、早く 忘れたい未来を取り戻したい)

 私は今、理解のある女のフリは出来ているだろうか? ちゃんと、笑えているだろうか?
 背後で組んだ手に爪が食い込んだとしても、虚勢をやめるつもりなんてさらさら無いのだけれど。
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