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2025/07/18  [PR]
 

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 manga

妹之山残







その日、妹之山残に衝撃が走った。

「や、辞められたんですか!?」

いもの山商店街のおいしいパン屋さん、デウカリオン。
決して広くはない店内に残の声が反響した。いつもゆとりある彼が声を張り上げるのは珍しい。

「そうなんだよ。ほら、あの子も高校生になるだろう? 忙しくなっちゃったみたいでね」

店主の女性も残念そうな声をあげ、ため息をつく。デウカリオンは初等部の頃から何かと懇意にしている店で、中等部に上がっても変わることはないと思っていた。
すっかり衣替えの季節を終えた六月の上旬。今日もお気に入りのあんぱんを買いに来ると、店内から「いらっしゃいませー!」と明るい声が聞こえるはずだった。
未だショックから抜け出せないのか、残はわなわなと肩を震わせたまま動かなくなった。

「週一回でもいいから手伝ってくれないかい? って聞いたんだけどね」
「……そういえば、梓嬢は高等部からCLAMP学園に編入されたとか」
「そうそう! それでどうも忙しいみたいだよ」

うちの姪っ子がCLAMP学園に編入なんてねぇ。
鬼才・天才のオンパレードとも呼ばれる名門に編入とあってか、店主も口角を上げて喜びを隠せないようだった。
そんなおめでたい雰囲気を他所に、残は扇で口元を隠して取り繕うので精いっぱいなのだが、何故こんなにも動揺しているのかは自分でも分からなかった。

幼等部から大学部まで一本道・無敵のエレベーター校であるCLAMP学園で、残が初等部でも三年以上生徒会長を勤めていたことを知っている生徒は多い。中等部に上がり、残はすぐ生徒会長に任命された。
鷹村蘇芳や伊集院玲の居ない一人だけの中等部学生会は想像以上に多忙であったが、初等部でも当初は一人であったし、NASAから引き抜きを受けるほどの彼が、たかが生徒会の業務をこなせないはずはない。しかし蘇芳と玲の居ない日常はサボっても声を荒げられることもなければ、追いかけられることもない。タイミングを見計らって出されていた玲手製の菓子なんてもってのほかである。

「ふう。休憩するか」

大きく伸びをし、肩を回し、残は椅子から立ち上がった。詰みあがっていた未処理の書類は数百枚ほどの小さな束にまで縮んでいた。此処に蘇芳が居れば、間違いなく「やればできるのに」と小言を言われていたに違いない。
苦笑しながらも残は菓子代わりのあんぱんを手に取った。

(あんぱん、か)

今朝、デウカリオンで買った時も彼女の声はなかった。店主しか居ない店内が当たり前になりつつあるものの、残はどうも釈然としていなかった。

「遠巻きに何度か見かけては居るんだがなあ……」

女性のことであれば二キロ先でも見える能力を発揮する彼にとって、梓を認識することは容易かった。その上、視線を感じることもままあった。
つい先日、人工庭園で高等部の学生会の面々と共に茶会をしていた時のことだった。合同で行う催しについて話し合っていたのだが、梓から向けられた視線はひどく物悲しかった。

何度も追いかけようと思ったが、残の足が歩みを進めることはできなかった。
彼女ばかり気にかけてしまう理由が分からないのに、集まってくださった女性たちを押しのけてまで会うべきなのだろうか。木陰から泣きそうな視線を向ける梓を思いかえしながら、自問する。

(友人を作ることもなかった僕が、自ら誰かを求めてよいのだろうか)

追いかけられることはあれど、自身から追いかけたことはない。頭の切れる残にとって、それは他人との線引だった。
蘇芳のように近づいた結果、事件に巻き込んでしまうことは少なくない。もっとも、蘇芳や玲のように知力や武力に加え時の運も兼ね揃えた人材であれば己の身は己自身で守れるだろう。

しかし、彼女はどうだろうか。
CLAMP学園に編入したとはいえ、良くも悪くも梓は普通の家庭で育った普通の生徒である。自分のような目立つ人間が側に居ることで何か起こってからでは遅いのだ。

「せめて、もう一度話す機会があればいいんだがなあ」

彼女が何を思って自分を見つめているのか、その答えだけでも知りたいはずなのに踏み込めない。
煮えきらない気持ちを払拭するように、最後の一口となったあんぱんを口内に放り込んだ。
彼の無意識に芽生えていた何かは、誰にも気づかれることなく散っていくのであった。
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