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2021/04/18  enst
 game

朔間零
※ぴくしぶ再掲&前の続き






「と、言うわけでして……」


 私が事の顛末を一通り話し終えると、夏目くんのグラスが底を知らせた。
 店内はざわざわと人の声が絶えないのに、私たちのテーブルだけはやけに静かだった。伏目がちな夏目くんの様子からは表情が見えず、やけに緊張感だけが増している。
 今日は平日に休みがもらえたので夏目くんとESの近くに買い物へ来ていた。
 年頃の男女―と言っても年頃なのは夏目くんだけであるが―ESの恩恵がある繁華街とは言え二人で出かけていいのか、と思われるかもしれない。
 しかし二年A組のクラスライブに行った際、給仕をしていた夏目くんに大声で「姉さん」と呼ばれて以来、私はすっかりSwitchのファンにはお姉ちゃんとして知られている。
 夢ノ咲をメインに活動していた頃と何ら変わらず、複数公演に入ったりしているけれど、未だに叩かれたことはない。民度の高いファンが多くて私も勝手に鼻が高くなる。


 閑話休題。
 朔間くんの一件があってから夏目くんと会うのは今日が始めてだ。
 どう切り出そうかと悩んでいると、休憩がてら入った喫茶店で夏目くんから席に座って早々尋ねてきた。


「零にいさんと、何かあったでショ」


 ずいぶんと嬉しそうに姉さんのことを話してたヨ、とむせる私を気にすることなく夏目くんは小さく笑った。目を細めた夏目くんの無言の圧力に押し負け、私は洗いざらい経緯を話す羽目になった。


「それで? さ、朔間くん……なんて?」
「“我輩、逆先くんのにいさんからお兄ちゃんになるぞい”っテ」


 冒頭の通り、朔間くんの誕生日に起きた出来事を話すと、夏目くんは肩をすくめた。
 私は羞恥のあまりテーブルに勢いよく顔を伏す。おでこが痛い気もするが、そんなこと些事だ。あの吸血鬼は私のかわいい夏目くんに何を言ってるんだ。


「洒落にならない冗談はともかく、とうとう姉さんが零にいさんにほだされちゃったんだナって思ったヨ」


 その口ぶりだと洒落にならない冗談のようなことを、朔間くんは言ったわけですね。
 一瞬、めまいがした。気がつかないフリをして顔をあげ、私は冷めたコーヒーに口をつけた。


「え、待って。ほだされたって何? 夏目くんにはどう見えてたの!?」


 聞き流しかけたけしからん言葉を拾い、夏目くんに訝しげな視線を向ける。決してカップのコーヒーが冷たくて眉間にしわが寄ったわけではない。


「ほんとに気づいてなかったノ?」
「最近はずっと“お姉ちゃんじゃろ”って甘えてくるし……」


 首をかしげていると、夏目くんはため息をついた。


「でも半年も前に好きって言われてたんでショ?」
「それまでは夏目くんのお姉ちゃんとしか言ってこなかったし……。私の態度が変わらないのを見てあきらめたのかなって……」
「ふうン?」


 テーブルに肘をつくと、夏目くんがじっと私を見つめる。彼は声だけではなく、目にも魔力が宿っているのではないだろうか。五つ以上も年下に根負けする自分がたまに恥ずかしい。


「にいさんにとっては、甘えることができる人が必要なんだと思うヨ」
「どういう意味?」
「頼られてばかりで、自分の安寧を知らないひとだからネ」


 果たしてそれは、答えになっているのだろうか。
 ただ、私よりも親密な関係である夏目くんが言うなら、答えに等しいのだろう。
 ……まあ、私ほど平凡な奴が周りにいなかったとも取れる気もするけど、朔間くんが私を個として認めてくれているのなら、自分を卑下するのはやめようと口をつぐんだ。
 話をどう繋ごうか悩んでいるうちに、後から注文したアップルパイが届いた。最初はコーヒーだけにしようと思っていたのだが、焼きあがったばかりのアップルパイのにおいに釣られて追加注文してしまった。
 湯気が立ち上るアップルパイを乗せたお皿を目の前に、夏目くんにどうしても聞きたかった相談を持ち掛ける。


「今更なんだけどさ、朔間くんって何が好きなの?」


 夏目くんは、店員さんがついさっき注いでくれた水に伸ばす手を止めた。また肘をついて、虫でも見つけたような視線を向けてくる。
 表情豊かな夏目くんを見ていると、たまに思い出す二年前の姿。ずっと悲しそうにしていた姿を見続けていた分、こんな顔も出来るようになったんだなあ、とちょっとだけ感慨深くなった。
 ……なお、あの視線を向けられて傷ついてないとは言ってない。


「なんデ?」
「遅くなったけどプレゼント渡したほうがいいかなあ、と」
「もうあげたようなものじゃなイ?」
「いやいや、お酒も結局この前飲めなかったし、まだなんもしてあげてない!」


 全力で首を振って否定する私に、夏目くんが大きなため息をついた。


「“関係性”って言う零にいさんが欲しかったものをプレゼントしたと思うヨ」
「そうじゃなくてぇ~……」
「はいはイ。わかってるヨ」


 夏目くんの言い回しが気恥ずかしさを助長させる。頭を抱える私を横目に、夏目くんは目を細めて笑った。


「姉さんがあげるものなら何でも喜びそうだけどネ」
「……」
「わかったから、その目やめてもらえル?」


 またしてもため息をついた夏目くんが眉間に皺を寄せ、アイドルらしからぬ顔で私を見つめる。
 夏目くん、割と普段から眉間に力が入りがちだけど、つむぎくんの前以外でこんな表情をしているのは初めて見た。一体私は今どんな顔をしているのやら。


「相変わらず変なところ生真面目だよね、姉さン」
「……いらないものあげたくないもん」


 そう言うと、最後の一口を食べ終えた。私の目の前にあったアップルパイがお皿から消える。
 夏目くんも水を飲み干すと、どちらからともなく席を立った。
 いつの間にか持っていた伝票を夏目くんから取り上げ、「相談料とプレゼント探しの料金ってことで!」とレジに向かった。絶対に離さないときつく握りしめていると、渋々納得してくれた。
 いくら私より収入がいいからと些細なお茶代ですら全部出してくれるのは、年上の尊厳に関わる。
 今日のところはなんとか回避できたけれど、正直次のお出かけが怖い。下手したら自分の買い物まで「お支払い済みです」って言われそう。


 結局、さんざん夏目くんを振り回したけれど、何も買わずに解散した。
 何を見ても朔間くんが持っている姿が想像できない。私の薄給で買えるものなど知れているということだろうか。
 夏目くんは「買う必要が無いってことだヨ」と笑っていたけど、あの笑みの真意はわからなかった。





 そうこうしているうちに、きまぐれな吸血鬼がやってきた。
 最後にあった時と何も変わらない、にこにこと手をふる姿がモニターに映し出されていた。
 ……気まずいと思っているのは、私だけなんだろうか。


「朔間くん、ごはんは?」
「済ませてきたぞい」
「え、じゃあ何しにきたの……」


 午後八時過ぎ。
 てっきり夕飯をたかりに来たのかと思ったけど、違ったらしい。


「老人の気まぐれじゃ……♪」
「だれが老人よ。朔間くんが老人なら私死体だわ」


 サングラスで表情は見えないけれど、くつくつと喉を鳴らしている。相変わらず、この男は私をからかって楽しんでいるようだ。
 お帰りください、と言ったところで帰るような人間、もとい吸血鬼ではないのはもうわかっている。
 それに早くしないと誰かに朔間くんの姿を見られたらまずい。変装しているつもりだろうけど、カメラ越しでも全くオーラは消せてない。


「……まあ、あがりなよ」


 むすっとした声でロックを解除するが、朔間くんは私の様子を気にすること無く、慣れた足どりでエレベーターホールへ消えた。


 しばらくして、部屋のチャイムが鳴る。一応ドアスコープを覗くと、サングラスをはずした朔間くんが立っていた。


「すまぬな」


 ドアを開け、朔間くんがブーツを脱いでいる間にジャケットを預かった。
 少し重みのあるジャケットは、とても手になじむ。さぞかしいい革なんだろうな。
 ソファに座るよううながし、私はキッチンへと向かった。

「そういえば……」
「ん?」


 お値段以上で有名なソファの背もたれに手を回して、振り返るだけでも雑誌のグラビアのようだった。
 ワンルームに無理矢理置かれたソファで足を組んでいるだけでも絵になる男、朔間零。恐ろしすぎる。


 ケトルのお湯をポットに注ぎながら、次に会ったら言おうと思っていた労いの言葉を告げた。


「この前言えなかったけど不夜城ライブお疲れ様」


 朔間くんの方を見ると、豆鉄砲でも食らったのかと言うぐらい、目を丸くしていた。


「……来ておったのかえ?」
「何日間かだけね」


 月末にハロウィンライブもあったしね、と言ってマグカップを差し出した。
 去年、雑貨屋で見かけて買ったオバケ柄のマグカップは、もはや朔間くん専用になりつつあった。
 ちなみに、このマグカップは夏目くんと色違いだ。本当は私が使おうと思っていたやつ。


「いろいろあったが、UNDEADにも実りがあるライブじゃったわい」
「そっか」


 そう言うと、口角をあげてコップに口づけた。多分、ライブ自体と言うより、ユニットとしての実りだろうな。 嬉しそうな朔間くんを横目に、私も隣に腰かけた。


(朔間くん、話に聞いてたより仲間思いだし……)


 つきっぱなしのテレビではKnightsが出演しているリップクリームのCMが流れているのに「凛月や~」と反応することはなかった。
 横目で見た朔間くんは、ハミングがこぼれそうなぐらい上機嫌で目をつむっていた。不夜城ライブを思い返していたんだろうか。


 朔間くんは、私が録画していた音楽番組を見ていると饒舌になる。「この時の誰々が〜」とメンバーの話が止まらないのだ。ユニットの子たちが大切で大切で仕方ないんだろう。 凛月くんの話をしている時とは違う、慈愛の含んだ目をしている。


 散々「わんこ」と呼んでいた大神くんを、「晃牙」と下の名前で呼ぶようになっていたり、逆に二枚看板の羽風くんからは「朔間さん」から「零くん」と呼ばれるようになっていたり。
 約一年、私も彼らのライブを見てきたけど、確実にユニット内の関係性は変わってきていると思っていた。


「も、もう一個……今更なんだけど……」


 ユニットの事を話す彼は、とても活き活きとした表情をしている。
 高鳴った胸をごまかすように、どきまぎしながらも、私は話題を変えた。


「誕生日、何ほしい?」
「誕生日?」


 顔を私の方へと向けて、首をかしげる。
 きょとんとした表情は、いつもより幾分か幼く見えた。


「ほら、この前なんにも渡せなかったから……」


 そこまで言って、私はうつむく。あの日の事を、鮮明に思い出してしまった。
 初心な思春期でもあるまいしと思う反面、顔にはどんどん熱が集まっていく。
 一応保身のために言うが、一線は超えていない。


(超えてはいないけれども……!)
 朔間くんは、弟同然の夏目くんのお兄ちゃん。つまり私にとっては弟でしかない。
 そう思っていたからこそ、なんというか……自分の危機感のなさが恥ずかしい。多分、朔間くんは何度も警告をしていた気がするのに。


「すでに今の態度でおなかいっぱいなんじゃが……。それでは満足せんのだろう?」


 ちらりと目だけ朔間くんに向けると、口もとに手をあてて苦笑いしていた。
 首を縦に振って肯定すると、あごに手を添えて朔間くんは考える素振りをしはじめた。


「そうじゃのう……。この前言っていたように、一緒に酒を飲んでみたいのう」


 どんな無理難題を投げてくるのかと力んでいたので、拍子抜けだった。
 無意識のうちに強張っていた肩の力が抜ける。 


「そ、そんなんでいいの?」
「“初めて”は一生に一度しかないからのう☆」


 目を丸くしていると、朔間くんはソファの肘おきに手をついた。
 はずんだ声でぶりっ子をしているかと思えば、目を細めて笑う姿にかわいげは無い。
 朔間くんのペースに飲まれる前に、私はそそくさと冷蔵庫へ向かった。


 冷蔵庫から取り出したチューハイをローテーブルに並べる。
 頻繁に飲むタイプではないので、先月まとめて買ったハロウィン限定のチューハイしかなかった。
 ブドウ味のコウモリ、マスカット味のピエロ、オレンジ味の魔女が朔間くんに選ばれるのを待っている。


「あ! 朔間くんと、日々樹くんと、夏目くんって感じじゃない?」


 たまたまなんだけどね、と笑うと、ピエロの描かれたチューハイを手に取った。


「これとか、色は夏目くんだけど、柄は日々樹くんだよね」


 味で選ぶか、柄で選ぶか。味は三つだけど缶は複数あるし、同じ味を飲むこともできる。
 やっぱりコウモリかな、と朔間くんに視線を移すと、すでにブドウ味のチューハイを手に持っていた。


「やっぱりコウモリ?」
「……ん」


 さっきまでのご機嫌はどこへやら、朔間くんはなぜか不服そうだ。目が合ったと思えば、すぐに逸らされる。


「じゃあ、私はマスカットにしようかな……」
「だ、だめじゃ……!」


 そう言うと、朔間くんはチューハイに伸ばした手を掴んだ。
 え、と声をあげる間もなく、勢いあまって朔間くんの頭は膝に乗っていた。もしかしなくても、膝枕状態である。


「……羽風くんの言ってた通り、本当に幼児退行してるねえ」


 上目遣いでちらりと見上げ、すりすりと膝に頬を寄せていた。羞恥よりも驚きのほうが勝っていて、私はぽかんと口を開けた。
 私の前では割と甘えてくることが多かったけど、今日の朔間くんは子供みたいだ。
 これが噂に聞こえた幼児退行する朔間零か……。
 なんで急に幼児退行したかはともかく、頬を膨らませた朔間くんは、素直になれない時の夏目くんみたいだ。
 昔夏目くんにしていたみたいに、特に深く考えずツヤツヤの朔間くんの髪を撫でる。


「む〜! 我輩、赤ん坊ではないぞい!」
「あはは!」


 ぷんぷんと口で言いながら怒る姿があざといと言うか、わざとらしいと言うか。
 なんにせよ、頭を膝の上に乗せた状態では何を言っても響いてこない。


「……夏目はともかく、男の名前が出んのがヤなんだっつ~の」


 ぼそぼそと言った言葉は聞き取れなくて、「え?」と聞き返すと「なんでもない」とはぐらかされた。


「ていうか! 幼児退行してるのはおぬしのせいでもあるんじゃぞ!」
「私?」
「甘やかしてくれる人が近くにおるからのう……☆」


 もぞりと寝返りを打って見えた朔間くんの表情は、癒やしを甘美しているようにとろけていた。
 お菓子でも口に含んでいるんじゃないかと思うぐらい甘い表情に、息を呑んだ。
 淫靡で背徳的な朔間くんの姿はもちろんのこと、夏目くんの「安寧を知らない」と言う言葉がよぎったからだ。


「我輩とてたまには人に甘えたい日もあるぞい♪」


 顔をあげた朔間くんは、にっこりと笑って腰に手を回した。
 笑顔は絶やさないのに、有無を言わさないような圧がかかる。まるで言葉を遮るようなしぐさに、私は押し黙るしかなかった。


「もともとおぬしにだけ甘えていたつもりが、つい声に出してしまってのう」


 腰に頬を擦り寄せると、朔間くんは流し目で私を見上げる。
 まるで絵画のような姿を、私は他人事のように眺めていた。


 徐々に近づいてくる端正な顔。
 あ、また朔間くんのペースでは……?
 雰囲気に飲まれそうになったところで、逃げるように呪文を唱えた。


「す、すゆ~って?」


 効果は ばつぐんだ !
 あのゲームの文字が頭の中に浮かぶ。
 ムードをブチ壊した私に、朔間くんはぱちくりと目を丸くしていた。すぐさま我に返ると、ぷりぷりと怒り始めた。


「だからなんでそこまで詳しいんじゃ!? もしかして薫くんも家に招いておるのか!?」


 恥じらいがあるのか、朔間くんは顔を隠すようにぎゅうぎゅうと腰に抱き着いてくる。
 やだやだと駄々をこねるような朔間くんの姿に、甘い雰囲気はどこへやら、子供をあやしている気分だ。
 今更だけど腰にしがみつかれるのはちょっと恥ずかしいかも。主に腹の肉が。


「違う違う。この前たまたまESの近くで会って言われたんだよ」


 ぽんぽんと頭をなでると、朔間くんは渋々起き上がった。
 ぶすくれた朔間くんがローテーブルからコウモリ柄のチューハイを二本手に取り、一本を私に差し出した。


「ごめんってば。からかいすぎた。ほら、乾杯しよ!」


 私がチューハイを朔間くんの方へかたむけると、渋々朔間くんが手に持ったチューハイを近づけた。


「かんぱ〜い」


 ようやく、二人で乾杯をした。
 かつん、とアルミがにぶい音を立てた。プルタブを開けるなり、私は一気にアルコールをあおった。


「ぷはあ」


 度数は低いので、これぐらいで酔うことはない。とは言え、朔間くんが無理にペースをあわせてつぶれたりしては困る。
 彼に限ってそんなことはないと思うけれど、一応朔間くんに目を向けた。


「むう……」


 唇をつきだし、チューハイを両手で飲む朔間くんは、まだ拗ねているようだ。
 上目づかいでちみちみと缶に口をつける姿は……かわいいんだけど、私にはあまり効果がなかった。多分、夏目くんや宙くんに上目づかいされたらイチコロなんだけど。


 朔間零と季節外れの柄が入った缶チューハイと言う組み合わせは似合わなくて、こんなことなら赤のボトルでも用意しておけばよかったとちょっとだけ後悔した。


「成人男性がやってもあんまかわいくないよ」
「え、我輩かわいいじゃろ」
「じゃあまずそのチューハイから手、離しなよ」


 けらけらと笑いながらチューハイをあおる。だんだんアルコールが回ってきた。
 私に振り回されている朔間くんの姿に、気分がよくなってくる。さっきのお返しだ、ざまあみろ。
 ゆるくなった口角でへらへらとしていると、反撃を食らった。


「おーいおいおい……。恋人がいじめるぞい」


 いつもの泣き落としか、と思ったらさりげなく爆弾を落とされた。
 たっぷり十秒ぐらい固まった後、勢いよく朔間くんに顔を向けた。
 酔いは一気に醒めたのに、顔だけは熱くなっていく。


「こ……こ……!」
「違うのかえ?」


 手の隙間から、ウソ泣きをしていた目がぎらりと光った。
 動揺している私に、朔間くんが詰め寄ってくる。バランスを崩しかけたところで、持っていたチューハイを取り上げられた。
 缶を持つ指は繊細そうなのに節くれだっていて男の人なんだなぁ、とぼんやりしていると、缶とローテーブルの天板がぶつかった音で我に返った。


 あれ?


 照明に陰りを感じる。私はあわてて顔を上げた。


「せっかくじゃし、もう一個プレゼントをもらってもよいかのう?」


 いつの間にか退路を断たれている。両手が顔のすぐそばにあって、身をよじることすらできない。
 見下ろす朔間くんは、さっきまでのかわいげをどこかに落としたんだろうか。まるで人が違う。


「わ、私にできることなら? どっかで買える?」
「いいや?」


 獲物をあざ笑うように、赤い目の吸血鬼が薄く微笑む。


「ええ……」


 二十歳になったばかりとは思えない色気に、ふいと視線をそらした。態度でははぐらかしたつもりだけど、朔間くんには、私に余裕がないことなんてお見通しだろう。


「買わずとも、名前を呼んでくれればよい」
「ん?」


 目の前が暗くなり、頬に何かがあたってくすぐったい。
 眉をしかめて正面を向くと、ぎょっとした。


「ほら、零と呼んでおくれ」


 鼻先がぶつかりそうなぐらい近い距離に朔間くんの顔がある。
 頬にあたっていたのは、朔間くんのふわふわの髪の毛だった。


「さ、さくまくん、近くない?」


 肩を押して間合いを取ろうとするけれど、びくりとも動かない。
 むしろ押し返されてますます近づいている気がする。


「ほれほれ、れいって言わないととちゅーするぞ☆」
「さ……れ、れ、れいくん?」
「うむ♪」


 前略、夏目くん。
 君が言ってた「ほだされている」はこれのことだったんですね。


 そういえば、今のところ全部なし崩しでことが進んでいる。何もかも朔間くん、もとい零くんのシナリオ通りに進んでる気がする。
 本当についこの間まで高校生だったんだろうか。それとも私がチョロいだけなのかな……。
 ぼんやり今までの経緯を思い返していると、また爆弾を落としてきた。


「ちなみに今日は外泊届を出しておるので、泊まらせてもらうぞい」
「え?! 何もしないからね!」


 それだとまるで私が何かを期待してるみたいじゃないか。
 今までは終電が過ぎてもタクシーで帰っていた。まさか泊まるなんて言葉が零くんの口から出るとは思わなかったのだ。


 気が動転しすぎて言葉がうまく出ない。ぐいぐいと肩を押し返しつつ、醒めたはずのアルコールが沸騰してるのではと思うぐらい体中が熱い。


「……なんかしたら即追い出すから」
「えー? なぜじゃ?」


 誰だったか、朔間零が一人でピアノを移動させていたと言っていたけれど、本当にゴリラじゃん!
 肩を押してもびくりとも動かないので、近づいてくる顔を必死に押し返しているのに、かわい子ぶった声をあげている。余裕があるにもほどがありゃしないか。


「いや、ほら……。心の準備が……」


 私と言えば、社会人になって随分経つけれど、社畜に徹しているうちに干からびてしまった。
 此処最近は夏目くんのライブぐらいしか楽しみもなかったし、本当にそういうことはすっかりご無沙汰だったわけで……。


「今日はこれで勘弁してよ、零くん」
「え」


 押し返していた手の力を抜き、シャツの襟をひっぱった。
 勢いづきすぎて歯がぶつかって、やらかしたと思ったけれど、もうやけくそになって舌を入れてやった。


 硬直していた零くんが少しずつ大胆になっていく。顔の横にあった両腕はいつのまにか後頭部に回っていて、さっきよりお互い密着していた。
 まるで逃すつもりはないと言われているようで、どんどん心臓がうるさくなっていく。


「これでも何もしたらだめなのかえ?」
「だめ」


 余韻を感じつつ、零くんはゆっくりとわたしから離れた。何事もなかったように隣に腰かける。


「……う~む、ずるいのう」


 私から噛み付いたのは予想外だったのかな。
 「ずるいのはどっちよ」と言おうとしたけれど、何を言い返せなかった。
 零くんは顔を両手で隠しているけれど、赤くなった耳は隠しきれてない。
 ちらりと指の隙間から見せた表情は、眉が下がってとても頼りなさそうで。


「我輩、今みっともないから……こっちを見ないでおくれ」


 ……やっぱりずるいのはどっちよ。
 こんな姿、他の人には見せてほしくないなぁ、と少し独占欲が湧き出たのは私だけの内緒だ。
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