忍者ブログ
2025/07/18  [PR]
 

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2020/11/03  enst
 game

朔間零
※ぴくしぶ再掲





 皆さんは過去の自分を恨みたくなったことはあるだろうか。過去の失態をどうにかして帳消しにできないだろうかと思ったことはないだろうか。私は今、まさに、この瞬間がそうだ。

 半年ほど前の自分に悪態をつきたくて仕方ない。どうしてあの時もっとはっきりと拒絶しておかなかったのかと、自分に問いただしたい。結局、私は既に目の前の男に絆されていたと言うことなのだろう。悔しいし認めたくは無いが、そうとしか思えなかった。

 蛇に睨まれた蛙よろしく、吸血鬼に睨まれた獲物。
 吸血鬼こと朔間零に見下ろされながら、私はどうしてこんなことになっているのかを思い出していた……。

 逆先夏目くんと私の関係性と聞かれると”年の離れた幼馴染“がしっくりくるだろう。それ以外にあの朔間零から気に入られる要素などこれっぽっちも無いはずだ。

 三姉妹の末の妹と夏目くんは同級生で、病弱だった夏目くん――当時は夏目ちゃんだと思っていた――を妹がけん引していたのをよく覚えている。
 転校生の上、女の子のように育てられていた夏目くんは男子によくからかわれていたらしい。うちの妹は陰湿な男子共の態度が気に入らず、毎度毎度キレ散らかしては結果的に夏目くんを守る形になっていたと言う。大股で歩く妹に腕を引かれた泣きじゃくる夏目くんを泣き止ますのが私の役目だった。
 高学年になるといじめも無くなり、夏目くん自身もズボンを履かせてもらえるようになったらしく男の子として振る舞うようになった。元々整った顔をしていた夏目くんは瞬く間にクラスの……いや、学校の人気者に上り詰めたらしい。手のひらを簡単に返した生徒たちの態度に、妹はまたキレ散らかしていた。

 なんだかんだと腐れ縁を続けていた妹と夏目くんは中学校まで同じクラスで、高校生になってようやく別れたが、同じ学校に通っているため構内でたまに会っているそうだ。
 私と言えば、夏目くんをなだめる係はとっくに卒業したものの、未だに彼とは連絡を取っている。正確には一人暮らしをしている部屋にふらっと来ると言うべきだろう。彼が我が物顔で冷蔵庫をあさる後ろ姿に、「うちって三姉妹じゃなかったっけ」と何度思ったことか。いつの頃からか夏目くんが私を「姉さん」と呼ぶようになったので、末の妹は双子だったのかもしれない。

 とは言え、初めから夏目くんが入り浸っていたわけではない。夏目くんが高校に上がったと同時期に――つまり去年であるが――しばらく実家暮らしだった私が、ついに一人暮らしを始めた。桜の季節から数か月が過ぎ、秋が顔を出し始めた頃からだったか。誰から聞いたのか部屋に夏目くんがふらりとやって来たのだ。昔から繊細ではあったが壊れそうなほど追い詰められた夏目くんの姿に、私は何も聞かずに部屋へ招き入れた。その日は気持ちを押し殺した夏目くんにホットミルクを作ってあげることしか出来なかった。
 後日妹に電話をしたところ、夏目くんの通うアイドル科はまさに混沌の真っ只中だと言う。夏目くんは”五奇人“と言う名称を与えられ、一年生で唯一渦中へと放り込まれたらしい。妹の話す内容は、平凡な高校を卒業し、大学へと進学した私には到底理解できないものであったが、夏目くんの様子からして大方は事実なのだろうと思った。あの泣き虫だった夏目くんの泣くことも許されずただ唇をかみしめている姿が、電話を切り終えてからも瞼の裏に浮かんでいた。

 そんなこんなで半年以上は辛い表情を見せる夏目くんを受け入れる生活が続いた。今年になって学園に新しい風が吹いたらしい。それまで学校の生活については全く話してくれなかった夏目くんがぽつり、ぽつりと話すようになった。 アイドルに興味はあまりないが、夏目くんが此処まで弱り切ったことに少なからず学園に対して怒りを持っていた私は、積極的に学校の話を尋ねるようになった。会話の無かったワンルームに会話の花が頻繁に咲くようになったのだ。夏目くんが久しぶりに笑顔を見せた日は、翌日朝から妹に電話で報告をしたぐらい嬉しかった。
 つまるところ、いつの間にか私も実の妹たち同様に夏目くんに気を掛けていたらしい。

 そして数か月前、初めてライブに誘われた。三人組のユニットを組んだと言う話は聞いており、ユニットの活動で忙しそうにしていた矢先、一般人も入れる大きなライブに誘われたのだ。
 二つ返事で了承し、スケジュール帳に予定を入れる私を見て、夏目くんがおかしそうに笑ったことを、私は忘れないと思う。

 尤も、この選択が私を地獄に突き落とすことになるとは、この時の私が知る由も無いが。

 つらつらと夏目くんと私の関係について述べているが、この話は私と朔間零がどうして今のような関係になったかが本題だ。未だに彼の話が出ていないが、先ほど話題に出たS1で私は朔間零と出会うのでもう少し我慢していただきたい。

 夏目くんからもらったチケットは二枚。誰か誘わないと必然的に空席を作ってしまう。空席は流石に気が引けるので、何が何でも誰かを誘おうと出演するユニットの羅列を眺めていた。見知った単語が目につき、スマホに手を掛ける。確か大学の友達が最近UNDEADにハマってるって言ってたな、と思い出し連絡を取った。ちょうどチケットが取れなかったらしく、その子からはいつぞやの私のように二つ返事が返ってきた。
 当日、彼女は夢ノ咲のアイドルについて詳しくない私に各ユニットの前情報を教えてくれてた。聞くか悩んだが、夏目くんが選ばれていたと言う五奇人について尋ねると、UNDEADにも五奇人の一人が所属しているらしい。
 夏目くんの口からたまに出てくる四人の「兄さん」。彼らには心を許しているらしく、眉尻を下げて話す夏目くんの姿を見て、何度心の中で彼らに感謝をしたかわからない。その内の一人が所属しているユニットとなれば、なんとなく親近感と興味が沸いていた。

 Switchは出来たばかりのユニットと言うこともあって、出順は序盤だった。
 「まだまだ弱い」と夏目くんは言っていたが、既に固定のファンはついているようで、前後のユニットとは比べ物にならないほど盛り上がっていた。友人曰く、元・五奇人と元・fineの居るユニットと言うことでいろいろ話題性があるらしい。fineと言うユニットについては簡単に説明を受けていたが、青葉くんに対する感情はなんとも複雑だった。
 Switchの出番が終わり、昼時と言うのもあって一度会場を出た。タイムテーブルを見る限り、あと三十分はセッティング等で余裕がありそうなので、腹ごしらえをしようと友人にガーデンテラスへ連れて行かれた。ガーデンテラスは普段から学生が利用しているらしく、本人たちが居らずとも同じ空気を吸いたい心理で選んだらしい。広い庭もそうだが、私の知っている高校とは全く異なる夢ノ咲学園の設備に、開いた口が塞がらない。

 ガーデンテラスは想像していたよりもずっと閑散としていて、利用しているのはほとんど学生だった。屋台やキッチンカーなどが来ていることもあり、ステージから離れたところを利用する人は少ないみたいだ。テラスの白い椅子に荷物を置き、注文に行こうとしたタイミングで出番を終えて一息つきたいらしい夏目くんから連絡が入った。今回のチケットを譲ってくれたのはアイドル科の子だと伝えては居たが、まさか夏目くんだとは思いもしていなかったようで、めちゃくちゃ驚いていた。

「おや? 聞き覚えのある声かと思うたら逆先くんではないか」

 昼食を食べ終え、私と友達がライブの感想を夏目くんに話していると、背後から聞こえた声に友人は息を詰まらせた。目の前に座る夏目くんは大袈裟にため息を吐き出すと声の主に話しかける。

「聞き耳を立てているなんて珍しいネ? 零にいさン」

 もしかしてずっと聞いてたノ? と呆れた目を向ける夏目くんに声の主はくっくっくと演技じみた笑い声で誤魔化していた。

「ん? にいさん?」

 聞き慣れた単語が出て来たので、ついおうむ返しで夏目くんを見つめる。もしかしてこの声の主は噂の五奇人とやらなのだろうか。おそるおそる振り返ると、鮮やかな夢ノ咲学園のブレザーを着た黒髪の男の子が立っていた。

「いかにも。逆先くんの”にいさん“の一人じゃよ」
「姉さん、紹介するヨ。僕がよく話をしていたにいさんの一人、零にいさんだヨ」

 動かない友人をよそに夏目くんと噂の「兄さん」の一人は会話を続ける。
 零にいさんと呼ばれた彼は、夏目くんと言う可愛いもかっこいいも兼ね揃えた子と人生の大半を過ごしている私でさえも「神に愛されて生まれたのでは?」と思うほど造形が整っていた。宝石のような赤い目と白い肌がより神秘さを強調しているようだ。

「ほう? そなたが噂の逆先くんの”姉さん“か。保護者同士、よろしく頼むぞい」
「は、はあ……どうも」

 私が改めて名乗ると零にいさん、もとい朔間零は満足げに微笑む。渦中の夏目くんは「恥ずかしいからやめてよネ」と朔間零に反論していたが、彼には柳に風と言った様子だった。
 その後、朔間零はライブの準備がらしく、他愛ない話を交わして校舎へと消えた。彼が去ってからしばらくしてようやく口を開いた友人に「あんたあの朔間零とよく普通に喋れるね」とほめているのかけなしているのかわからないお言葉をいただいた。

 如何にこの学園、ひいてはアイドルとして彼らが祭り上げられようとも、私にとっては夏目くんの”にいさん“として彼を支えてくれたことの方が重要なのだ。
 それにどれだけ秀でていようとも、夏目くんも含めて彼らは華の高校生。多感で思春期真っ盛りの男の子だ。どう足掻いても彼らは大人にならざるを得なかった十代の子供たちである。私ぐらいは彼らを弟として扱っても罰は当たらないだろう。

「だって私、五奇人の末っ子・夏目くんの姉さんだからね」

 と、年上ぶって夏目くんの前で言ったのが間違いだった。 
 まさかこの言葉が朔間零に筒抜けとなっていたことをきっかけに、彼との交流が始まってしまうとは――……。


 此処まで随分長い前書きを述べたが、あのS1で見たUNDEADのライブはとにかくすごかった。後半になるにつれてレベルの高いユニットが多かったが、カリスマ性で言えば朔間零は頭一つ分以上抜きんでていたと思う。
 あの日以降、Switchのライブは欠かさずに行っていたし、ライブハウスで行われているUNDEADのライブにもなぜかよく顔を出していた。友人曰く「あんたが居る時と居ない時で朔間零が違う」らしい。よくわからないがライブは楽しいのでよしとしている。

 朔間零とは夏目くんと言う共通の身内を抜きにして知り合うつもりはあまり無かったが、日に日に慣れ慣れしくなっていた。何かあれば「お姉ちゃんじゃろ~」と夏目くんを盾にしてくるし、もはやUNDEADのメンバーにも私は”夏目くんの知り合い“ではなく”朔間零の保護者“として扱われるようになっていた。
 年を跨いで久しぶりに夢ノ咲であったショコラフェスでは転換時間に他の元・五奇人の子たちにチョコを渡していたらUNDEADのライブに少し遅れてしまった。客電が落ちた後に客席へ戻ったのを見られていたらしく、ライブ後のめんどくささと言ったら「姉離れできないのか?」と訴えたくなるほどだった。ファンが見たら幻滅するのでは……と思う反面、あの顔だからなんでもギャップ萌えに繋がるのだろうなと友人を見てよくわかった。と言うか既に凛月くんと言うギャップ持ちだった。

 そして迎えた三月。三年生が新しい門出を迎えようとしている最中、私は何故か朔間零に告白された。しかも朔間零の引っ越しを手伝っている途中で。
 自分でも未だに何を言っているかわからないが、どうやら姉として慕われていたわけではなかったらしい。朔間零のことは夏目くんの”にいさん“にあたる年下の男の子としか見ていなかったので、それはそれはめちゃくちゃ驚いた。

「おぬしが我輩を弟のように思っておるのは理解しておる」
「じゃ、じゃあ今聞いたことは無かったことに……」
「それとこれとは話が別じゃよ」

 物分かりの良いフリをしているが、能ある鷹はなんとやら。隙を見せればすぐに歪んだ口元から牙が姿を現す。

「意識してもらえるよう、我輩頑張るぞい」

 謙虚な言葉とは裏腹に身体を引き寄せられると、手に持っていた段ボールがばさりと落ちる。

「中身の心配より、自分の心配をした方が良いぞ……♪」

 段ボール一つ分の距離なんてすぐに詰め寄られ、瞬く間に顔が近付いていく。突然の出来事に身体が言うことを聞かず「うわ、睫毛長」と現実逃避をしたものの、脳内ではすぐに警鐘鳴り響いた。

 相手は、未成年だ。

 朔間零の年齢を思い出すと硬直していた身体はすぐに動き出し、彼を押しのけた。火事場の馬鹿力とはよく言ったものだ。あんなに勢いよく人を押しのけたのは後にも先にもこの日だけだと思う。
 そのまま流されると思っていたのだろう、朔間零はきょとんと目を丸くして私を見下ろしていた。

「だ、駄目!」
「弟、だからかのう?」
「いや、朔間くん未成年でしょ! それ以前の問題!」

 意外にがっしりとした身体の朔間零を押し返し、距離を取るとファイティングポーズを構えた。

「私、まだ犯罪者にはなりたくないので! これ以上近づくと打つから!」

 なんともへなちょこのジャブを打ってみるが、朔間零の反応は未だにない。いっそ変な奴だと思われてこのまま興味を無くしてくれるのも一つの手だとすら思った。気迫の無いジャブを繰り返しながら、横目では生唾を呑んで朔間零の出方を窺う。
 しばらくして、向かい合っていたはずの朔間零が糸が切れたようにしゃがみ込んだ。よくよく見ると小刻みに震えていて、おなかを抱えているように見える。

「え、今の笑うところあった……?」

 立ち尽くす私にどうにか返答しようとしているが、笑いすぎてどうにもならないらしい。涙を浮かべて笑う朔間零に私もすっかり気が抜けきっていた。
 こうして朔間零から受けた告白はうやむやになり、何事も無かったような様子で引っ越しの続きに戻った。

 あれからまた半年ほどが過ぎ、現在。
 社会人になってからと言うもの、「一日はこんなにも長いのに一年はなんでこんなに短いの」と思っていたはずなのに、走馬灯のようにすぎて行く記憶はとても濃縮された一年を物語っていた。

 四月に入り、アイドル業界は新体制となった。夢ノ咲学園のアイドルたちも事務所に所属し、新しい体系の下で活動をしていた。Switch主催の盂蘭盆会やUNDEADが出ていたなんとか将軍のイベント、MDMと言う大規模なライブも無事に終わり、季節はすっかり秋になっていた。
 ESでもS1と同じように季節ごとの大きな催しが行われ、MDM並の規模で開催されたハロウィンライブも何事も無く終わった。久しぶりにSwitchとUNDEAD以外のユニットも見れたので、私としては大満足のライブだった。

 今年のハロウィンは土曜日だったこともあり、翌日の十一月一日は前日の疲れを癒すことに徹していた。
 撮り貯めしていたSwitchがゲストの歌番組や、UNDEADの二枚看板が身体を張っていたバラエティ、最近結成されたDouble Faceの初披露など、一通り録画を見終えてもうひと眠りしていると、珍しくインターホンが鳴った。
 宅配便は日付指定しているが今日は特になかったはず。そもそもこんな時間に配達は無いだろう。起き抜けの頭でドアホンの映像を見ると予想外の男が立っていた。

「なんで居るの」
「早々に相変わらずつれないのう。開けてもらえんか……☆」
「仕方ないなあ……」

 朔間零が突然家に来るのは初めてではない。うやむやになった後も何度か来ており、撮影のお土産を持ってきたやらと何かしら理由を作っては部屋に上がりこんできていた。勿論事前に連絡などない。連絡先は交換したが、機械音痴の朔間零と連絡不精の私と言う最悪の相性の結果、未だに一回も電話をしたこともない。
 オートロックを解除し、朔間零の姿がエレベーターホールに消えるのを確認して通話を切る。しばらくして室内のインターホンが鳴り、ドアを開けると気持ち程度の変装をしたアイドルが穏和な笑みを浮かべて立っているではないか。昨日ライブに行ったばかりと言うのも相まって、狭いワンルームで朔間零がお茶を飲んでいる姿には違和感を覚えた。

「そういえば朔間くん、明日誕生日だったよね」

 自分のグラスにお茶を注ぎながら昨日ステージの上で二枚看板が同時にサプライズでお祝いされていたのを思い出す。大神くんとアドニスくんが企画したらしいサプライズで、二人とも嬉しそうにしていたのはとても印象的だった。

「うむ。もうすぐじゃな」
「こんなところに来てていいの?」

 昨日十分祝ってもらったからのう、と昨日に思いを寄せているのか微笑んだ朔間零は、後輩に見せている優しい表情を見せていた。

「実はさっきまで別の現場でもスタッフにお祝いしてもらっておったわい」

 慣れない手つきでスマホを操作して、羽風くんが撮ってくれたらしい写真を見せてくれる。ホーム画面に戻れずに指をさ迷わせている姿は年下には見えない。本当におじいちゃんのようだ。

「我輩、二十歳になるのう」
「お酒飲めるようになるね~。きっと今後お偉いさんから促されると思うけど、ほどほどにね」

 冷蔵庫からチューハイを取り出し、「十二時過ぎたら一緒に飲む?」と問いかける。最近追加していないからあまりストックが無いな、と冷蔵庫に入っている他のチューハイのラベルと本数を数えていた。

「是非晩酌を頼みたいがのう……。それより先に、大事なことを忘れておらんか?」
「だいじなこと?」

 スリッパとフローリングが擦れる音が背後に近づき、冷蔵庫の扉を後ろ手で閉めて朔間零に向かいあう。彼の言わんとしていることがわからず首を傾げていると、困ったように眉を下げて笑い、朔間零は言葉を続けた。

「ほれ、春に引っ越しを手伝ってもらったの時の」

 眉を顰めた私に、朔間零が珍しく腕を組んで唸り声を上げる。
 夢ノ咲の子たち――特に今年卒業した三年生――は含んだ物言いをするので疲れ切った脳ではうまく点と点を繋げることができず、会話のキャッチボールがかみ合わないことが多い。日々樹くんあたりはそれさえも「amazing!」と言って話題に変えてしまうので話が脱線する。

「うーむ。思ったより手ごわいのう……。我輩、そこまで眼中になかったと思うとちいとショックじゃよ」

 おーいおいおいと棒読みの泣き声をあげると、器用に片目だけを開けて挑発的な視線を向けられる。朔間零はまるで呪文を唱えるようにゆっくりと言葉を紡いでは私を追い詰めていく。

「我輩、あの時は清水の舞台から飛び降りる思いで言ったつもりだったがのう」

 顎に手を添えてわざとらしく考えるフリをする朔間零は私の返答を待つことなく、続けて口を開く。

「おぬしが言ったのであろう? ”犯罪者にはなりたくない“と」

 頭から血の気が引いていく。忘れていたわけではないが朔間零の態度が変わらなかったこともあって、無かったことにはしていた。
 半年以上経って今更掘り返してくるあたり、あの日から私は彼の策の中でのうのうとしていたと言うことか。

「やられた……」

 ぽつりと呟いたと同時に左手が朔間零によって攫われる。手の甲を数回撫でられて背筋を震わせていると、赤い目が三日月のようにほくそ笑んだ。

「そろそろ観念してはもらえんかのう?」

 見た目のやんちゃそうな雰囲気とは異なる、古風で物腰の柔らかい声が私を制す。間合いをじわりじわりと詰め寄られ、身を引こうとするが背後を冷蔵庫に取られているため、これ以上は下がれない。

「のう? ”お姉ちゃん“」

 その”呼称“に眉を顰めて顔を上げると、吸血鬼の罠に引っかかってしまったらしい。作り物のごとく整った唇が弧を描いた。

「お、お姉ちゃんにはこんなことしないでしょ!?」
「本当に姉であれば、な?」

 うちには夏目くんって言う家族同様に可愛がってる子が居るので弟枠は満員ですが!?
 思わず早口で叫びそうになったが、想像よりも互いの顔が近くにあったことに驚いて言葉が喉の奥に消えた。

「我輩の気持ちを知っていて搔き乱すなぞ、見かけに寄らずとんだ悪女じゃな」

 約百八十センチの大男に間近で見下ろされると流石に威圧感が半端ない。逃れようとしても掴まれた左腕はぴくりとも動かず、端正な顔が近づいてくる一方だ。

 ああ……! こんなことならやっぱりコイツを部屋に上げなければ良かった!

 そうは思っても後の祭りである。朔間零の左手が背中に回り、二人の距離が一気に近づいた。奇人だの吸血鬼だのと言われてはいるがやはり朔間零とて同じ人間だ。想像よりも高い体温が服越しに伝わる。どれだけ目の前に盾突こうとも、この熱で全て溶かされていくような気さえしてきた。

 ささやかな抵抗として朔間零から目を逸らす。キッチンに置かれた時計を見やったが、無慈悲にも時計の針は十二を超えていた。息を小さく吐き出すとくつくつと喉の奥で笑う音が聞こえる。

「散々お預け食らってたんだからよ、もう我慢しなくてい~よな?」

 再び顔を上げるが、見知った虚構の朔間零は居なかった。夏目くんから話には聞いていたが、とうとう素の朔間零と言う不可侵の領域に触れてしまったらしい。
 荒っぽい口調なのに舌なめずりの際に覗く八重歯やちろりと見える赤い舌がとても官能的で、ついさっきまで未成年だったとは思えないのが、なんだか癪だ。かき上げられた前髪が目にかかるだけで心臓を鷲掴みにされる。ライブで何度も見た仕草なのにこうも違うものに見えるのか。細められた赤い目と視線がかち合い、脳内で白旗があがる。

「……成人おめでと、朔間くん」

 往生際の悪い私はもう一度時計を確認し、もうどうにでもなれと諦めて目を閉じた。
PR
prev  home  next
プロフィール

HN:
タナカユキ
性別:
非公開
最新記事

(02/23)
(03/09)
(03/09)
(07/15)
(09/02)
P R

忍者ブログ [PR]
  (design by 夜井)