天覧聖杯戦争が始まってしばらく。女人が空から降ってきた。
見慣れぬ服装をした彼女は千年後から来たと宣った。
自分は本来来るはずではなかったが、
誤作動に巻き込まれて仲間と共に都にやって来た。
あたふたと弁明する女は確かに人を欺くのは苦手そうな人種だと見
ているだけでわかる。
霊体化を解いたキャスターに驚くこともなく、
そのうえ真名を看破したことには驚いたが、
少なからず聖杯戦争や英霊に関する情報は心得ているらしい。
女の様子にキャスターも「
千年先から来たと言うのはあながち嘘ではないかと」と肯定した。
ならば、と夜更けと言うこともあり、
ひとまず屋敷に招き入れることにした。
案の定キャスターには用心が悪いと咎められ、女人自身ですら「
こんな不審者を助けてくれるんですか?」と尋ねてくる始末だ。
「非力な女人一人、俺の寝首をかくこともままならんだろう」
天覧武者ではないーー身近にいる奇なる力を持つ者らとは比べ物に
ならない程貧相な女人に、自身が後れを取るなどありえない。
そう言い放って踵を返すと、おずおずと女も俺の後ろに続いた。
決して、彼女の安堵した姿にあの人の面影を抱いたわけではない。
――決して、ありえない。
数日して、
彼女の仲間が土蜘蛛に襲われているところに出くわした。
怯えている癖に「リツカが頑張っているんだから、
少しでも早く合流して力になりたい」
と夜の平安京を共に見回りをしていた矢先だった。
彼女は誤解とは言え、
仲間を襲った俺を止めはするも咎めることは無かった。挙句、
探していた仲間と幾何か話をしたのち、
なぜか俺の元へと戻ってきた。
「仲間のところへ行けばいいものを」
感情が乗り切らない抑揚のない声で俺が言えど、
女はだらしない笑みを浮かべるのみ。その笑みはいつぞやに見たあの横顔に、やはり似ている気がした。
それからと言うもの、
相も変わらず女は天覧聖杯戦争に同伴していた。
式神ではないが簡単な使い魔を編み出すことはできるらしい。
土蜘蛛退治で何度か彼女の術を見たが、
その程度の術では到底今の世では渡り歩くことなど不可能だろう。
千年後は今の都ほど呪術と密接な世界ではないらしい。
京の獣は強すぎると弱音を叫びながら術を繰り出していたが、
俺は聞こえないふりをして土蜘蛛を薙ぎ払った。
ひ弱な彼女は、護るべき存在。
元の時代の話を聞いても、前線で戦う立場ではなかったらしい。仲間を後援する身でありながら、見知らぬ土地で最前線に身を置くのはどのような心地だろうか。
背後に隠れ、
ただ護られていればいいものを彼女はそれを良しとしない。
それでも。
彼女の肩を引き寄せ、庇い、
刃を突き立てた時の高揚感はーー空っぽだった俺の心に何か
を満たした。
いつか、
この高揚感をもう一度あの御方と共に迎えられるのではないか。
うたかたの夢は、膨らむばかりであった。
源氏会議を終え、正気に戻った俺は彼女を見やった。仲間に歩みを寄せ、祝福する彼女にあの人の面影はない。
勝手に高揚し、喜びを見出していた男に、
都合のいい幻想を抱かれた女。なんと哀れなことだろうか。
自嘲気味に聖杯にかけようとしていた望みを口にした瞬間、
彼女から平手が飛んできた。
痛い、熱い。今まで負ったどの傷よりも重い。
いささか驚いたが、
彼女を見下ろすと涙ぐむ瞳とかち合った。死者を生き返らせると言う願いはすっかり消えていた。彼女もまた、大切だった人が目の前で逝った経験があるのだろうか。
「非力な女人と言ったが、撤回しよう」
彼女の方が強い心を持っていたようだ。哀れなのは俺一人だった。
目を見開いた彼女から一筋の涙が流れたのは、
果たしてどういう理由だったのだろうか。
やはり人の感情と言うものは、理解の範疇を超えている。
全てが収束し、
天覧聖杯戦争に召喚された英霊たちも次々に退去を始めた。キャスターを見送り、頼光様の屋敷へ戻る。
ちょうど入れ違いに彼女が仲間と共に紫式部邸へと向かおうとして
いた。今晩は彼女とその仲間たちを含めた宴会が開かれる予定だ。
彼女は仲間に声をかけ、「後で向かう」
と言って俺の元へ近づいてくる。
まるで出会った頃と同じような状況に自然と口角が緩んだ。
「綱さん」
「ああ」
「いつまでこちらに滞在できるかわからないので……。
一言お礼をと」
らしくない陰りのある表情に、眉根をしかめる。
「今夜はお前たちを含めて宴会だと頼光様が言っていたぞ」
「そう、ですか。その頃まで此処に居られたらいいのですが」
曰く、英霊同様、
彼女たちも事が終わると元の時代に帰ることになるらしい。
それがいつになるかわからないので先に別れを言わせてほしい、
と。
俺を見上げる目には、燦燦とした光が宿っていた。もはや眼中には俺も、都も、この時代の何もかもが映っていない気さえした。
「
空から落ちてきた不審者を拾ってくださってありがとうございまし
た」
「礼には及ばん」
声音が、きつくなる。責めているわけではない。
怯えさせたいわけでもない。また心が空っぽになるような感覚に不快感を覚えただけだ。いつの間にか彼女に心を許していた心と体がちぐはぐな行動を起こしてしまう。
一瞬、ひるんだ目をしたがすぐに彼女は微笑んだ。
あのだらしない笑みで俺を喜ばせる言葉を紡ぐのだ。
「私、ずっと考えてたんです。
想いを寄せられていた方と綱さんの子孫が、
ずっと先の時代で結ばれているかもしれないって」
「……」
「ご存じの通り、私は千年先から来ました。
綱さんの子孫は私の時代にも沢山いらっしゃいます」
微動だにしない俺に首を傾げたが「続けてくれ」
と言えばまた顔を綻ばせた。
「綱さんに悲恋なんて似合わないです」
笑顔の消えた真摯な瞳が射貫く。
すべてを見透かされているような視線に、息が詰まる。
まるで俺が彼女を通してあの人を見ていたのすら気づかれていたの
ではないか。
表情には出ていないだろうが脳内では様々な思考が過ぎった。そんな俺を他所に、彼女はまた言葉を続ける。
「どうか、前だけを見ててください。貴方たちが護った今が、
私たちにつながりますから。
もちろん、
皆さんが護った明日を無くさないよう私たちも足掻き続けます」
自分たちの時代に戻ると、
また世界の危機に立ち向かわねばならないのだろう。
俺たちを鼓舞している場合ではないだろうに。
俺の肩の力を抜かせるべくあれやこれやと自分の時代の話を語る。
口を動かすのを止めない彼女の頬に右手を添えると、
ぴたりと言葉が止んだ。
「……ありがとう」
驚きのあまり硬直した彼女があたふたと手を上下に動かす。
意外と初心なのだな。初めて見る彼女に気をよくしていると小さな手が添えられた。
「私こそ、ありがとうございました」
右手に頬を摺り寄せた彼女は、
心地よさそうな表情を浮かべている。その心の内で、今、何を思っているのだろうか。
「また夜に」
きっと彼女たちが紫式部邸から戻ってくることは無いのだろう。唇を噛み締めるだけで、彼女は何も答えなかった。
名残惜しそうに離れた熱が、俺の手をすり抜ける。
小さな背中が振り返ることは、ついぞ無かった。
「……セイバー、渡辺綱。
特にいうことは無い。鬼や魔性を斬りたいのなら、
俺が適任だろう。
人を斬るのは少し苦手だが、そこは勘弁して欲しい」
彼女の仲間の元に召喚される未来を、まだ誰も知らない。
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